051539 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

牧師のぺ~じ

牧師のぺ~じ

「人身御供」3

「さあ、行こうか!運転手さん達を起こさないとな。」伊東は、仮眠室で寝ている運転手と確認しておいた役員の明日のスケジュールを思いおこしていた。今、仮眠部屋にいる運転手は5人。

 会長付の山中、社長付の黒田。この二人は通常朝のお迎えはしない、朝のお迎えはハイヤーが行くことになっている。彼らは、高齢でもありまた、家が遠いこともあって普段からここで起居している。家にいるよりもこの部屋で仲間と過ごすほうが彼らにとっては気楽らしい。車で通勤しても、タクシー券を利用して深夜に帰宅しても良いと言ってみたのだが「そんなものはもったいないから・・」と、仮眠室で寝ることを選択し続けている。まあ、午前1時に会社を出ても、翌朝、会長は大宮、社長は調布だからかなり早起きをしなければならないことを考えれば当たり前なのかもしれない。
 
明日は定例の役員会の日だから、昼過ぎまでは動いても問題ないはずだ。
 会社の役員会は、毎週月曜日に行われる常務以上の幹部会議と木曜日の昼食時間までかけて行われる定例役員会、月一回の取締役会の3回が開催されていた。幹部会議は経営案件の審議も兼ねるので経営企画部が主管。定例役員会は、種々雑多な打ち合わせ事項、取締役会に付議するまえの根回し会議を目的としていたが昼食時を必ず挟むことから役員懇談会的な雰囲気を持っている。取締役会は通常の会社と同様、全役員が一同に会しての最高意志決定会議だ。もっとも事実上は定例役員会で根回しがされていることから、これも定例会議には出席できない地方にいる役員を交えての役員懇談会的な意味合いになっている。
 伊東の所属する総務部は定例役員会と取締役会の主管であった。明日の定例役員会は9時から13時30分までの予定だ。本社に在籍する役員全員の出席が確認されていた。13時30分まで山中、黒田は待機時間だ。
 
 筆頭副社長付きの佐島。筆頭副社長は車が嫌いで、自宅のある千葉から東
京駅までは電車で来る。東京駅からの送迎であれば朝、別の運転手を手配しても充分間に合う。彼も明日の昼過ぎまでは待機時間だ。
 運転手は通常一人の役員に対して正副2名を配置している。主な行事、朝晩の送り迎えは正運転手が行い、土日のゴルフは副運転手が行う体制を作っていた。副運転手はハイヤー会社からの時間派遣だ。
 佐島の副運転手への手配は明朝でも問題ないだろう。
 山中、黒田、佐島の三人は普段から伊東に対して好意を持って接してくれており、何よりも運転手と言う仕事を通して会社を支えているという自負心を強く持っている、『会社のため』と言えば嫌がられる事は無いはずだ。 

 次席副社長付きの多田。次席副社長は何でも大名家の末裔という噂で麻布の一等地に広大な敷地を有している、これも筆頭副社長と同様に朝の迎えを
副運転手に替わって貰えれば良いのだが、多田は副運転手に運転させる事を極端に嫌う。自分では副社長家の家老職にいるつもりでいるようだ。彼は納得させるのは難しいかもしれない・・・

 筆頭常務付きの渋谷。彼は常務とソリが合わず、常に副運転手に替わって貰いたがる、彼は問題無く協力してくれるだろう。問題は明日の迎えに副運転手の手配が間に合うかどうかだ・・。

 伊豆への往復、書類の差替時間を考えると6時間は見ておきたい。(今午前3時近くだから帰りに渋滞に巻き込まれても10時から11時には帰着できるはずだ。問題は強制捜査の時間だな。)伊東は仮眠室のドアを開けた。

 仮眠室は2つの部屋に分かれている。前室は休憩室を兼ねているので総毛皮張の長いソファが4客、大きなテーブルを挟んで置いてある。テレビ、冷蔵庫、マッサージチェアに簡単な台所も付いている。奥が畳12畳の本当の仮眠室だ。全室のソファには山中、黒田、佐島、渋谷の4人が毛布をかぶって寝ていた。テーブルにはトランプ、出前のラーメンどんぶり、清涼飲料水の缶などが散乱している。寝る前に食事をしながら一勝負したのだろう・・。役員の間でこのところコントラクトブリッジが流行りだしており、彼らも時々勝負の相手として参加させられていると聞いていた。多田は奥の部屋で一人寝か。
 伊東は、灯りを付け一人一人を起こした。尾藤は台所でコーヒーの支度をしている、気の利くヤツだ。奥の部屋の灯りをつけると寝ているのは二人だった。多田と配車室長の菊池だ。菊池は伊東と全くの同郷北海道の釧路出身で転勤以来何かと伊東の面倒を見てくれている。伊東は(助かった!)と思った。菊池を起こし多田はそのまま寝かせておくことにした。

 全室のソファに眠い目をしばたたかせながら菊池、山中、黒田、佐島、渋谷が尾藤の淹れてくれたコーヒーを前に座った。伊東は手短に、事件が起こっていること、警察が入るであろうこと、出してはまずい資料を人事部の意向で伊豆まで運び今夜中に改ざんした上で明日戻って来なければならないことを伝えた。皆、最初はポカンとした顔でいたが徐々に事態が飲み込めて来たのか難しい顔つきになっていった。
「で、物はどの位の量なんだ?」菊池が聞いた。
「これくらいの段ボールで12箱です。」尾藤が両手で抱えるような仕草をしながら答える。
「車4台だな。丁度運転手も4人。何とかなるよ伊東ちゃん。」菊池が笑顔を伊東に向けてきた。
「伊豆かよ~」黒田が不満そうな顔をする。他の3人も不満顔だ・・・
「何言ってるんだよ。俺たちだって総務部だろ。会社の大事に働かないで、いつ働くんだよっ。向こうの保養所で待ち時間があるから伊豆の温泉にでも浸かってゆっくりしてきな。」菊池が赤ら顔をさらに赤らめて周囲を見回す。
「仕方ねえ、菊さんと伊東ちゃんの頼みじゃな・・親分には菊さんから巧く言ってくれよ~」黒田が苦笑いしながら答え、立ち上がった。運転手達は自分が付いている役員を親分とかオヤジと読んでいた。そう呼ぶことで親近感と忠誠心を自らに植え付けてでもいるようだ。付いている役員の序列と同様運転手達の親分格である黒田にこう言われて反論する者はいない。役員車を使っての伊豆行きが決まった。
「ブツは、トランクに2個、後部座席の足下に1個づつ積め。伊東ちゃんとそっちのアンちゃんは、黒田の車に乗って。後の3台は予備車を使って続いて行け、間違っても親分の車を使うなよ。明日の朝、親分連中が自分の車じゃないと機嫌悪いからな。」菊池が的確に指示を出し出発の準備が整った。

「伊東ちゃん、気を付けて行けよ。後はオレが何とかするから」菊池の笑顔を見て伊東は『人身御供』などと思った事を恥じた。(そう、これだって立派な仕事だ、そう思わなくては・・)
 午前3時40分、駐車場を出発した。車路をのぼり表に出る。
 正面玄関には、大勢の報道陣が詰めかけていた。幸いこちらを気にする人間はいないようだ・・・静かに脇を走り抜ける。伊東は流れる車窓から一瞬こちらを振り向いた佐藤の顔が見えたように感じた。(まさか?もういないハズだよな・・)
「伊東ちゃんたち寝てても良いよ。」黒田が運転席から声をかけてきた。
「いや、黒田さんが運転して社長の車に乗せていただいてるんです、なんだか自分が社長になったみたいで勿体なくて眠れません。」尾藤が真面目な声で応える。
「そうかい?じゃあ、音楽でも聴くかい?親父は、あれで演歌なんか聴いてんだぜ、普段はクラシックだJAZZだって格好つけてんのにさあ、車に一人になると『はるみちゃん、サブちゃん』だもんな。おれも元は北海道だからサブちゃんは好きだけどね。」黒田が北海道とは初耳だ。江戸っ子だとばかり思っていた。
「え?黒田さん僕らと同じ北海道なんですか?」伊東がたずねる。
「ああ、中学までな。あまり良い思い出がないから話した事なかったっけな・・・」とたんに黒田の声のトーンが落ちた。そしてそれきり黙ってしまった。
 しばらくして尾藤がささやき声で伊東に話しかけてきた。
「伊東さん、おかしいと思いませんか?いくら何でも今日明日逮捕ってのが、わかっていながら今頃書類改ざんなんて。」言われて見れば確かにそうだ、総務に相談が来たのが先週。それから作業をすれば今頃こんな事をする必要は無かったはずだ・・。
「うん、そう言えばそうだな・・・それにこの書類の量も多い。」
「ここだけの話ですが・・この書類は今回の山岡さんの案件のものだけじゃないんです。」
「なんだって?」
「山岡さんの事件に絡む書類なんて段ボール1箱もありませんよ。それにとっくに改ざんは終わってます。ここにあるのは竹田係長が人事部の総括部長と相談して選んだ、それ以外の購入案件のものなんです。」
「つまり、今回の事件は氷山の一角?」
「私も詳しい事はわかりません。でも、ここに山岡さんの事件に直接関わる案件は入っていませんよ。」(やはりウラがあった・・)伊東は頭の芯がしびれるような目眩を感じた。             つづく


© Rakuten Group, Inc.